「仕事仲間」って何っすか?
「凄腕エンジニア1人と4人のソコソコのエンジニアを使えるマネージャー。より生産性が高くて偉いのは後者でしょ?」
と、ある同僚に言われて一瞬納得しかけた自分を今は悔いている。
それはそいつのスタンスなのであって、あたしのそれとは程遠い。「使う」という単語にも「偉い」という形容にもひどく違和感があるし、管理者が生産してるという感じ方自体あたしにはないもの。自然、そう思える彼にはマネジメントの素養があるのかもしれないし、だったら出世することに腐心し続ければいい。あたしは表現者であるために仕事を手段として選んでいるだけの人間で、そんなことには関心はない。社会人として彼の方が上なら組織ピラミッド上はそれでもいいと思っている。事実、給料も肩書きもそうなっていくし、それが世の中の仕組みだということくらいは、まぁええ年なんやから理解している。
ただ、自分のそのスタンスを人に押し付けようとする姿勢とか、居丈高に人のスタンスを批判する態度は、マネージャーになろうとする人間としては明らかに失格。人の能力や素質の多様性を認めようともせずに、頭から否定する会社や上司に未来があるとは到底思えない。
でも彼も出会ったときからそうだった訳ではない。かつてはエンドユーザーやサービスを誰よりも熱心に考えていた人だった。彼の変化を成長と呼ぶことも、ある側面ではできる。逆にあたしは社会的な成長を拒む駄目社会人だと自認もしている。自分が思っているよりずっとたくさんの分岐点にぶつかっていて、その都度選択をし、同じベクトルを向いていると思っていても、少しずつ少しずつ別の道に向かって歩いているのかなぁ。人間って。
幸いあたしには考え方の根幹を共有できる同僚もいる。今はそのことを最高にラッキーだと思っている。誰が正しいという訳ではない。自分が正しいと思うことを正しいと思いながらできることは幸せなことだ。そう思わせてくれてお互いに高めあえる仲間がいることは、心底心強い。
前述の同僚は、自分のスタンスを肯定してくれる仲間を欲しているんだろう。でも大事なことを誤解している。
仲間は作るものではない。
ましてや論戦で屈服させた相手を仲間になどできない。
仲間意識や同士感は、日々の業務やささいな会話や態度を見聞きする中で自然発生的に生まれるものだと思う。ある日改めて腹を割って話せたときに「ああ、こいつとはこんなところが似てるから一緒に仕事してて気持ちいいんだなぁ」と感じる。そんなものだと思う。
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